金スマ キムラ緑子 淡路島の山猿と呼ばれた幼少期 [芸能]
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3月28日「金スマ」に、NHK「ごちそうさん」で主人公西門め以子をいびる小姑、和枝さんを演じるキムラ緑子さんが出演しました。
キムラさんは数多くのドラマや映画に出演し、シリアスな役からコメディまで
幅の広い演技をし、カメレオン女優といわれています。
番組では、キムラさんの幼少期について紹介していました。
キムラさんは1961年、10月15日、兵庫県淡路島に生まれました。
共働きの両親は放任主義で、キムラさんは自由奔放に育ちました。
友達を遊ぶ約束をしても家で漫画を読んで笑っていたり
時には学校をさぼって海を眺めていました。
親からは約束を守りなさい、学校に行きなさいなど
一般的なマナーを一切教えてもらわなかったそうです。
夏にはクラゲだらけで遊泳禁止の海に飛び込み
逃げる男の子を追いかけ、クラゲをぶつけていました。
大口を開けて良く笑う元気者で
先生からつけられたあだ名が「ゲラリ子」でした。
畑の真ん中を流れる用水路の水を、土の上に腹ばいにのって飲み
「これいけるで~」と言って、友人たちにも飲ませました。
中学のときのあだ名は「一二三(ひふみ)ちゃん」。
一重で二重あごで、三段腹だったことからつけられました。
中学三年生の時の写真はメガネをかけてぽっちゃりしていましたが
高校一年生の写真はスラリとやせていました。
過酷なダイエットに取り組んだそうです。
同志社大学に入り、キムラさんはモテキに突入。
一日に数え切れないほどの男性にナンパされました。
大学二年生の時に友人の付き添いで演劇サークルを見学。
お芝居に初めて触れて感動し、そのまま入部しました。
将来の夫、マキノノゾミ氏ともここで知り合います。
卒業後、両親の大反対にあい、女優の道を諦め
淡路島に帰って、塾の経営と家庭教師を始めます。
勉強が2割、おしゃべりが8割の授業内容で
中森明菜に始まり、中森明菜で授業は終わりました。
生徒にプリントをさせている間、キムラさんは中森明菜さんの「DESIRE」を振り付きで熱唱。
「私の方は見んでもええから、勉強をしなさい」と言って歌っていました。
生徒さんたちはこの特訓のおかげで集中力が養われ
無事希望校に入学したという、めでたしめでたしエピソードが紹介されました。
1984年、一本の電話がキムラさんのもとにかかってきます。
マキノノゾミさんが立ち上げた「劇団M.O.P」の女優がやめたので
代わりにキムラさんに入団してほしいとの依頼の電話でした。
一度は断念した女優魂に火がつき
入試シーズンが終わった3月に、荷物をまとめました。
親は引き止めますが勘当同然で家を飛び出し
1985年、24歳で女優を始め、以後劇団の看板女優として主役をつとめます。
31歳のとき、マキノノゾミさんと結婚。
結婚13年目のとき、「離婚してみたら面白いかもしれんよ」と離婚しますが
その5年後、「もう一度籍入れへん?」と誘って、マキノさんと再婚しました。
関 連 記 事
あさイチ プレミアムトークでめ以子と和枝が熱烈ハグ
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3月28日「金スマ」に、NHK「ごちそうさん」で主人公西門め以子をいびる小姑、和枝さんを演じるキムラ緑子さんが出演しました。
キムラさんは数多くのドラマや映画に出演し、シリアスな役からコメディまで
幅の広い演技をし、カメレオン女優といわれています。
番組では、キムラさんの幼少期について紹介していました。
キムラさんは1961年、10月15日、兵庫県淡路島に生まれました。
共働きの両親は放任主義で、キムラさんは自由奔放に育ちました。
友達を遊ぶ約束をしても家で漫画を読んで笑っていたり
時には学校をさぼって海を眺めていました。
親からは約束を守りなさい、学校に行きなさいなど
一般的なマナーを一切教えてもらわなかったそうです。
夏にはクラゲだらけで遊泳禁止の海に飛び込み
逃げる男の子を追いかけ、クラゲをぶつけていました。
大口を開けて良く笑う元気者で
先生からつけられたあだ名が「ゲラリ子」でした。
畑の真ん中を流れる用水路の水を、土の上に腹ばいにのって飲み
「これいけるで~」と言って、友人たちにも飲ませました。
中学のときのあだ名は「一二三(ひふみ)ちゃん」。
一重で二重あごで、三段腹だったことからつけられました。
中学三年生の時の写真はメガネをかけてぽっちゃりしていましたが
高校一年生の写真はスラリとやせていました。
過酷なダイエットに取り組んだそうです。
同志社大学に入り、キムラさんはモテキに突入。
一日に数え切れないほどの男性にナンパされました。
大学二年生の時に友人の付き添いで演劇サークルを見学。
お芝居に初めて触れて感動し、そのまま入部しました。
将来の夫、マキノノゾミ氏ともここで知り合います。
卒業後、両親の大反対にあい、女優の道を諦め
淡路島に帰って、塾の経営と家庭教師を始めます。
勉強が2割、おしゃべりが8割の授業内容で
中森明菜に始まり、中森明菜で授業は終わりました。
生徒にプリントをさせている間、キムラさんは中森明菜さんの「DESIRE」を振り付きで熱唱。
「私の方は見んでもええから、勉強をしなさい」と言って歌っていました。
生徒さんたちはこの特訓のおかげで集中力が養われ
無事希望校に入学したという、めでたしめでたしエピソードが紹介されました。
1984年、一本の電話がキムラさんのもとにかかってきます。
マキノノゾミさんが立ち上げた「劇団M.O.P」の女優がやめたので
代わりにキムラさんに入団してほしいとの依頼の電話でした。
一度は断念した女優魂に火がつき
入試シーズンが終わった3月に、荷物をまとめました。
親は引き止めますが勘当同然で家を飛び出し
1985年、24歳で女優を始め、以後劇団の看板女優として主役をつとめます。
31歳のとき、マキノノゾミさんと結婚。
結婚13年目のとき、「離婚してみたら面白いかもしれんよ」と離婚しますが
その5年後、「もう一度籍入れへん?」と誘って、マキノさんと再婚しました。
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タグ:金スマ キムラ緑子
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